
マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン
Maria Rosa Luna Henson
マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンは、「ローラ・ロサ(“おばあちゃんロサ”)」の愛称で親しまれ、1927年12月5日、当時アメリカ統治下にあったフィリピンに生まれました。地主の非嫡出子(法律上の結婚をしていない男女の間に生まれた子ども)として生まれ、貧しい幼少期を過ごしましたが、週末に働きながらパサイのセント・メアリーズ・カレッジで初等教育を修了しました。
1941年12月8日、真珠湾攻撃の直後、日本軍はフィリピンへの侵攻を開始しました。14歳のとき、薪を取りに行く途中で日本兵2人に連行され、深刻な被害を受けます。その後、母親によってパンパンガ州へ移され、ロサは中部ルソンの農民によって組織されたゲリラ運動「フクバラハップ(Hukbalahap)」に加わりました。食料や薬、衣類を集める任務にあたっていた際、再び日本兵に連行され、アンヘレス市に設けられた仮設の「慰安所」で約9か月間、働くことを強いられました。
日本軍がフィリピンから撤退した後、ロサは深刻な身体的後遺症を抱えたままその場を離れました。自身の回想録『Comfort Woman: A Filipina’s Story of Prostitution and Slavery under the Japanese Military』の中で、彼女は次のように記しています。
「母は私を看病し、まるで赤ん坊のように食べさせてくれました。私は立つことも歩くこともできず、這うことしかできませんでした。目もよく見えず、すべてがぼやけていました。」
1992年、彼女はフィリピン人女性として初めて、元慰安婦として公に名乗り出ました。つらい記憶と向き合いながら、学校で学んだ英語を用いて自身の体験を書き残し、1996年に自伝『ある日本軍慰安婦の回想: フィリピンの現代史を生きて』を出版しました。その勇気ある行動は、他のフィリピン人被害者たちが声を上げるきっかけとなりました。
同年には、フィリピン人元慰安婦を支援する団体「リラ・ピリピーナ(Lila Pilipina)」が設立され、174人の被害者が参加しました。明確な記憶力と強い意志をもって長年にわたり正義を求め続けたロサは、1997年8月18日、69歳で亡くなりました。

